2012年01月27日

条件反射

人は誰しも、条件反射的受け答えをしてしまうときってあるよね。
何か言われて、カッとして、思わず、暴言を吐いてしまうとか。
それって多分、ホントに「条件反射」なんだろうから、「条件反射」してる状態のときに、「条件反射」状態を停止しろって言ったり、もう二度と、「条件反射」するなよって諫めたりすることに、あんまり意味はなさそうな気がする。
本人が後で、「条件反射」で、まずいことを言っちゃった。ってことに気づいて、謝るなり何なりをするしかないんだよね。

ところが、「条件反射」で暴言を吐いた人に対して、これまた「条件反射」で暴言を吐いてしまう人もいる。
これが、永遠に1対1でやってるなら、ほっといてもいいんだけど(笑)。

問題なのは、ネット上で、この「条件反射」を利用して、1対多数を形成して、ブログなんかを荒らそうとする人がいること。
その巣窟が、「2ちゃんねる」だったりするんだけど。
で、おもしろいことに、「条件反射」で出てくる言葉の中に、『頭使えよ、バカ』ってのがあったりする・・・。

あ。言っとくけど、私は「2ちゃんねる」結構、好きで、スマートフォン板と園芸板に、お気に入りのスレがあるし、イーグルスの試合がある日の実況板は、なくてはならない存在だし(笑)。
だから、「2ちゃんねる」って掲示板そのものを貶める気はないよ。
それと、「条件反射」自体を咎める気もあんまりない。
自分で気づいて、自分で何とかすればいいと思うし。

だけど、他人の「条件反射」を利用して、人に迷惑を掛けるとか、人を傷つけるとか、そういうのは気に入らない。
端で見てると、どう見ても「条件反射」でやってるとしか思えないのに、ちゃんと、自分の頭で考えてやってるんだ、と錯覚できるような、テンプレ的なものが、ネットのあちこちに存在して、それを利用して、「条件反射」を大量生産させてく。

この前『NHKの配慮』って記事を書いた。
そこに出てくる、「不敬だ」って言ってるのがそうなんだけど。
誰かが「不敬だ」って言いだしたことに、「条件反射」的に、多くの人が反応してるんだよね。
そこに、自分の頭で考えてやってるんだ、と錯覚できるような、テンプレ的なことが書いてあるから。

でもさ、ちゃんと自分の頭で考えたら、なんで、平安末期、院政時代の話なのに、明治以降にできた言葉を使え、って言ってるの?
等々、いろんな疑問が出てくると思うんだけどね。

ネットで検索して、最初にでてきたサイトだけを読むのは、調べた、とは言わないし。
いろいろ読んだあげく、自分の考えと同じものだけを信じるのも、自分の頭で考えた、とは言わない。

ネットって、すごく便利だし、楽しみや善意に満ち溢れてるんだけど。
不愉快や悪意もいっぱい転がってる。
つまづいて転ばないための智恵とか、知識は絶対に必要なんだよね。

などと言ってる私が、実は転ぶ方が多かったりしてぇ〜(笑)。
 
 
posted by さらら at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 平和と友愛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月17日

狼少年

ウィキペディアの『嘘をつく子供』って項目に、俗に言う「狼少年」の話が載ってる。

あらすじ
羊飼いの少年が、退屈しのぎに「狼が出た!」と嘘をついて騒ぎを起こす。大人たちは騙されて武器を持って来るが、徒労に終わる。少年が繰り返し嘘をついたので、本当に狼が現れた時は大人たちは信用せず、誰も救援に行かなかった。そのため、村の羊は全て狼に食べられてしまう。

オリジナルでは嘘をつきつづけた少年自身が襲われて狼に食べられてしまう懲罰的な結末だが、近年は残酷さゆえ羊が食べられてしまう話になっているものが多い。

教訓
人は嘘をつき続けると、たまに真実を言っても信じて貰えなくなる。常日頃から正直に生活する事で、必要な時に他人から信頼と助けを得ることが出来る。嘘をつく意図はなくても、結果的に誤ったものとなる場合も同様に扱われることがある。

原作では村人の羊も何匹か食い殺されており、先入観によって人を信じない事の危険さも教訓としている。

大事なとこだけ、もう一回、抜き出すと。

原作では村人の羊も何匹か食い殺されており、先入観によって人を信じない事の危険さも教訓としている。

『原作では』なんだよね、『原作では』。
排外主義とかに走る人の問題点って、この、『原作』にあるはずの『教訓』を、知らない、気づかない、または、知らないふりをする、気づかないふりをする、ってとこなんじゃないかと。

ある人物が何度も何度も嘘をついた、ということを、どれだけ証明しても、それ以外の発言も全て嘘、ということにはならないし。
ましてや、嘘をついたことのある人々が多く所属する「団体」に所属しているからと言って、そこに所属している人々全てが、「嘘つき」とは限らない。

これって、ものすごく当たり前のことなんだけど。。。

で、日本って、ごく最近まで、「連帯責任」を厳しく問う国だったんだよね。
例えば、高校の野球部の部員の一人が、問題行動をしてしまった場合、その生徒と顧問の先生だけが責任を問われるのではなく、野球部全体が、試合への出場停止処分とかにされてしまう。
ここ数年は、野球部全体が、責任を問われることはなくなったけど。

こういう「連帯責任制」、みたいなのは、自分自身の行動を律するのには、とても役に立ってて、日本人の礼儀正しさってのは、この「連帯責任制」によるところが大きいんじゃないかと思ってる。

でも逆に、この「連帯責任制」という思想の逆作用が、排外主義を助長してるのかもしれないな、とも思う。
誰かが嘘をついたなら、その責任は、嘘をついた人だけでなく、その人が所属する「団体」とその関係者にも責任がある。みたいな感じで。

で、よく使われる言葉なので、「排外主義」って書いたけど、これって別に、右翼系の保守さんや愛国さんたちだけのことじゃなくて。
右左関係なく、何かと戦ってるつもりの人々にも当てはまるような気がするんだよね。

だけど、少なくとも、愛国ってことを声高に主張する人々は、日本人の長所はどこか、そして、それがどこに起因するのか、ってことぐらいは、キチンと把握して、それをぶち壊しにするようなことは、やめた方がいいよ。
そうでないと、「愛国」って言葉が、どんどん、胡散臭くなるだけ、だよ。。。
 
 
posted by さらら at 23:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 平和と友愛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月16日

NHKの配慮

今年の大河ドラマは『平清盛』で、松田聖子さんが「祗園女御」役で出てるので、とりあえず、どんな「祗園女御」になってるのかを見るために、1回目と2回目をちゃんと見た。
あと、ツイッターの「藤原頼長」さんbotと、お仲間(?)の平家の方々のbotが、意外とおもしろいので、ツイッターをちょこちょこ見ながら、テレビ見てたんだけど。
とりあえず、テレビ見た後の私のつぶやき。

salala2 / さらら
先週、「王家」が不敬って言ってる人に、史実に忠実なんだとかって言ってる人がいたけど。そこだけ、ホントに、そこだけ、史実に忠実に表現する必要なんて、なさそうなんだけど・・・。 at 01/15 20:42

これに対して、「王家という表記が史実に忠実とは思えない。いつのまにかNHK公式ぺージから王家の表記が消えてる」というツッコミが入ったので。

salala2 / さらら
@  でも、「皇室」って言葉は、明治維新以降にできた言葉でしょ? で、この時代、「天皇」って言葉は、対外的なもので、内部的には、天皇は「帝」で、上皇は「院」だし。その一家を表現する場合、内部的には「王家」になるんじゃないですかね? at 01/15 21:36

これに対して、「本当に当時の人は朝廷のことを王家なんて呼んでたのかな?そっちの方が怪しそう」と言われて。

salala2 / さらら
@  呼んでないでしょうねw そもそも、天皇家について会話をすること事態、不敬というか、反逆罪とかの罪になる可能性がありますからね。 at 01/15 21:51

こう答えて、最初のツイートについて。

salala2 / さらら
@  歴史って、言っちゃ悪いけど、結構、歴史家の数だけ「史実」があるっぽい世界ですからね。それはそれとして、最初の私の文章、もし、「王家」が、史実であったとしても、そこだけ、史実に忠実に表現する必要がないような、むちゃくちゃなドラマだった。ってことなんですよ。 at 01/15 22:00

salala2 / さらら
@  なので、「王家」は史実に忠実だからウンヌンって言ってる人は、ドラマ見てないでしょ? 的なつぶやきだったんですよ。 at 01/15 22:01

って説明したんだけど。

で、その時に教えてもらったのが、ここ。
 → http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4356.html

ここに、Yahoo!智恵袋についても書かれてて、アドレスも載ってるんだけど、その回答を読んで尚、
「NHKは皇室(天皇家)を王家と呼ぶな!」

と書いてるようで、なんか、スゴイなぁ〜。と思った。

とりあえず、私としては、まず、「平清盛」を見ろ。と言いたい。
なぜか、天皇家に関しては、配役が絶妙で、この当時の天皇家のハチャメチャさを、ものすごーく分かりやすく表現してるのよ(笑)。
Yahoo!智恵袋の回答にもあるんだけど、このハチャメチャな人々と、現在の「皇室」の方々を、直に結び付けたくなかったってのが、「王家」と表現した一番の理由だと思う。

あと、この時代は「院政期」と呼ばれてるように、天皇ではなく「院」と呼ばれる上皇が実権を握ってた。
でも、「院」が一人しかいないとは限らないから、実権を握ってる「院」のことを、「治天の君」と呼ぶようになった。
「帝」や「院」になったからって、それだけで、実権を握れたわけじゃない。
でもさ、ドラマの概要で、いきなり「治天の君」とか出てきたら、さらに説明が必要だよね?
こういう場合、「治天の君」のことを、「王」と表現すると、分かりやすいと思うんだけどね。
天皇でも、単なる上皇でもなく、この国を治めていた人、という意味では、他に選択肢はなさそうに思えるんだけど。。。

で、昨日の私のつぶやきにあるんだけど、「皇室」って言葉は、明治時代に「皇室典範」が作られて以降に用いられるようになった言葉なんじゃないのかな。
明治になって、「天皇陛下」と呼ばれ始めるまでは、天皇という言葉はあったけど、実際には、天皇ではなく、「帝」と呼ばれていたはずだし。

そんなこんなで、まぁ、私としては、900年も前のことを扱った「ドラマ」なんだから、「王家」でも、「天皇家」でも、「皇室」でも、別にどうでもいいんだけどね。
「ドラマ」も、史実とか飛び越えた(?)、内容になってるし(笑)。
だから、別にいいんだけど、でも、それを不敬だとか言ってる人たちのことが、すごく気になったのよ。

この人たちって、完全に「中華思想」のトリコになってて、中国様の決めたルールに従え!って、大声で言ってるようにしか見えないんだよね。
確かに、現在の天皇陛下を「王」と表記したら、それはもう、「不敬」以外の何ものでもないと思うよ。
「王」は格下とか、そういう意味ではなく、決まった称号があるにも関わらず、その称号を無視して、別の称号を用いるのは、ルール違反としか思えない、という意味でね。

聖徳太子は、中国の決めた「中華思想」というルールをぶち破るために、
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
という手紙を、中国に送りつけた。
にもかかわらず、なぜ、それから、1400年も経った今、「中華思想」というルールに則って、「王」は格下だの何だのと、いちいち「ドラマ」にまで目くじら立てなきゃいけないのか、謎、としか・・・。



ちなみに、NHKの登場人物相関図のページの表記は、「王家」の表記を止めて、公卿さんたちを含めて「朝廷」にしてるけど、昨日のドラマの中では、「王家」って言葉、まだ使ってたよ♪
 
 
posted by さらら at 23:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 平和と友愛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月30日

王様の耳はロバの耳!

と言う訳で。
10月の始め頃、ヘイトクライムについての講習みたいなのに行ってきて、なんか、それが、体力的にも、精神的にも、えらく、しんどかったんだよね。
とりあえず、さららタンは、虚弱体質なもんで(笑)。

で、その、同じ講習に行った人々がみんな、「ためになった」みたいなことを、ツイッターでつぶやいてたんだけど。
実は、それに、すごーーーく違和感があって、講習の内容については、誰にも、一言も話ししてなくて、それでなんか、余計に、精神的な負担が増えてた感じで・・・。

まぁ、違和感について、ブログかツイッターに書こうかどうか悩んだ末、庭に穴掘って、「王様の耳はロバの耳!」って叫んどいたから、それでいいかな。みたいなぁ(笑)。

だけど、一ヶ月間、いろいろ考えて、思いついたことだけ、一応、書いとこうと思って。。。

人が「差別」をしてしまう理由、そして、それがだんだん、過激になっていく理由。
それは、現実社会が気に入らないから。だよね。
「現実社会」ってのは、自分の境遇とか、そういう個人的なものだけじゃなく、今だったら、放射能が飛び散ってる現状とか、そういうのも含めて。

だったら、「差別」をなくすにはどうしたらいいのか?
「現実社会」を、生きている全員が気に入るようにするのは不可能なんだから、「気に入らない」の方をなんとかするしかないんじゃないのかな?

つまり、みんなが「優しく」なれば、「差別」は自然となくなる・・・、とこまでは難しいかもしれないけど、少なくとも、過激化することを抑えることはできるんじゃないかと。

「差別」してる人に向かって、怒りを投げつけるより、「優しく」諭した方が、「差別」をなくす役に立つような気がする。
何かが「気に入らない」、どこかが「間違ってる」と思ったとき、怒りを投げつけるより、「優しく」諭した方が、相手に聞き入れてもらえるんじゃないのかな。

みんなが、もう少しづつ「優しく」なれば、世の中、今より良くなるんじゃないかな。。。
 
 
posted by さらら at 21:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 平和と友愛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月18日

ルールの確認

昨日の記事、コメントでも指摘されちゃったんだけど、あまりにも、現実離れしてて、お花畑脳全開過ぎたみたいなので、ちょっと怖いけど(笑)、もうちょっと、現実に即した記事でも書いてみようかと・・・。

この前、新宿で、「脱原発」のデモがあって、そのデモに反対する団体も「カウンター」と称して、新宿に集まったみたいで、そのゴタゴタの中、「脱原発」のデモ参加者から、10数人の逮捕者がでたらしい。

で、それを、「不当逮捕」だとか言って、警察官が、「脱原発」に厳しくて、「カウンター」側に甘い、とか言い出してる人が大勢いて、ビックリした・・・。
そういう人たちって、視点が、「脱原発」と「カウンター」にしかないんだよね。
でも、こういう場合の警察官の仕事は、どっちにも参加していない、一般の通行人を、このゴタゴタに巻き込まれないように守ること。なんじゃないのかな?

どっちがどういう団体か、なんて、現場の警察官の知ったこっちゃないと思うんだけど。

デモってのは、どんなデモでも、ごく普通に、そこを通る一般の通行人、通行車に迷惑を掛けてるんだよね。
他人に一切、迷惑を掛けるな、とも、デモをやるな、とも思わないし、言わないけど。
少なくとも、他人に迷惑を掛けている、という自覚ぐらい持って参加して欲しいものだと思う。

で、警察官は、「脱原発」側でもなく、「カウンター」側でもなく、迷惑を掛けられている、一般の通行人、通行車に対する「迷惑」を、最小限に止めるために、そこにいるんだよ。

思想信条を抜きにして考えてみて欲しいんだけど。
一方は、人数も少なくて、暴れだしても、警察官の制圧が、そう難しくはない状況。
でも、もう一方は、暴れだしてからじゃ、収拾つかなだろうと思われるほどの大人数。
こういう場合、暴れだしてからじゃ遅い方は、暴れだす前に制圧されるのは、仕方ないんじゃないの?

逮捕されてない側が、先に挑発したとか何とかって意見もあるだろうけど。
警察官が、いちいち、発言内容までチェックできてるわけないじゃん。

警察官ってのは多分、思想信条や、言ってることが正しいかどうか、じゃなくて、当事者か否か、で、見方を変えてるんじゃないかと思う。

例えば、某団体が、学校や、組合事務所で、傍若無人な振る舞いをしても、現行犯逮捕されなかったのは、その周りに「当事者」以外の一般人の数が少なかったから。
でも、新宿でのデモは、その周りの「当事者」以外の一般人の数が膨大で、何かあった場合の、迷惑の度合いが、計り知れないぐらい大きかったから、逮捕までされてしまったんじゃないのかな?

まぁ、これはちょっと、穿ちすぎかもしれないけど。
でも、例え、新宿のデモでの逮捕が、本当に「不当逮捕」であったとしても、それは、警察官が、「脱原発」という思想信条を弾圧したいから、ではなく、迷惑を掛けられている、一般の通行人、通行車に対する「迷惑」を、最小限に止めるための措置、だったんだと思うよ。

まじで。
「脱原発」側であれ、「カウンター」側であれ、自分たちの正義と、相手の悪を声高に叫ぶ前に、他人に迷惑を掛けている、という自覚と、他人に掛ける迷惑を、最小限にしよう、という意志を持ってもらいたい。

他人に迷惑を掛けないように心掛ける、というのは、この社会で生きるための、最低限のルールなんじゃないのかな?




あ。で、もう一つ、思い出したけど。
「迷惑だ」って言う声に対して、今現在、原発事故で、多大な迷惑と、命の危険にさえ、さらされてる人がいるんだから・・・。
みたいな、人の命を守ろうとしているのに、それを妨害しようとするなんて、身勝手だ、とか言いだしてる人がいるんだけど。
本気で、それほど、「脱原発」が大事なら、それこそ、デモなんてやってないで、ソフトバンクの孫さんがやってる、メガソーラー事業に寄付や協力をするとか、自分でも、新たなメガソーラー事業を始めるとか、メガソーラーのための土地の提供、までは難しくても、土地を提供してくれそうな、都道府県、市町村、企業を探すとか、もっと、現実的なことをやった方が早い。

と言うより。
多分、「脱原発」の人たちが、「推進派」認定してる人たちもみんな、原子力発電所が生み出す、原子力+揚水発電分の電力を、他の発電方法で賄えるなら、そっちに移行することに異議はないと思うよ。

時代はもう、「脱原発」か否か、ではなくて、どうやって、原子力発電所が生み出す電力を賄うか。
そして、残った核廃棄物をどうするか、に移ってる。
「脱原発」デモなんて、とっくに、時代遅れになってると思う。
 
 
posted by さらら at 20:54| Comment(4) | TrackBack(0) | 平和と友愛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月17日

政治にスポーツを

よく、「スポーツに政治を持ち込むな」ってフレーズを聞くよね。
それに異論はないんだけど、逆に、「政治にスポーツ」なら、持ち込んでもいいんじゃないか、なんてことをひらめいた(笑)。

政治家もスポーツをやれ、とか、スポーツ選手を政治家にしよう、とか、そういう話じゃないから、ご安心を(笑)。
私は今、東北楽天ゴールデンイーグルスを応援してて、昨日までは、クライマックスシリーズに出られる「3位」争いをしてたはずなんだけど。
いつの間にか、3位より、5位との差の方が小さくなって・・・。

でね。そういう場合でも、イーグルスファンは、3位のチームをけなしたり、今日、イーグルスに勝ったチームに罵倒をあびせるんじゃなくて、「反省会」を始めるんだよね(笑)。
で、それって、イーグルスファンだけじゃなくて、プロ野球の他のチームのファンもみんな、そんな感じなんだよね。
生卵は、自分の好きなチームに向かって投げることはあっても、ライバルチームには投げない。
良くも悪くも、自分の好きなチームしか見てないって言うか、世界は、自分の好きなチームを中心に回ってるわけ(笑)。

こういう書き方をすると、ちょっと、自己中心っぽく聞こえちゃうかもしれないけど、でも、これって結構、すごいことなんじゃないかと思ったんだよね。

まぁ、野球だと、勝ち負けがハッキリしてるから、相手を罵って、貶めたりすることに、意味はないってことが、分かりやすい。
だから、味方同士で、反省会したり、反省会中に、意見の違いでケンカっぽくなったり、そういうことができるんだろうけど。
でも、そういう、プロ野球の応援的感覚を、他のものにも適応できれば、もっと、分かりやすい世の中になるんじゃないかと・・・。

なんか、言いたいことを、上手く言えてない気がするけど。
例えば、自民党vs民主党、って構図があるとするじゃない?
で、自民党支持者は、民主党を罵って貶めてて、民主党支持者は、自民党を罵って貶めてても、多分、世の中、よくならないと思うんだよね。
そうじゃなくて、自民党支持者は、自民党支持者同士で、自民党の良いとこをアピールして、自民党の悪いとこを、修正してもらえるように批判する。
逆もしかり。
ってなった方がいいと思わない?

「政治不信」って言葉があるけど、結局、「政治不信」を生み出してるのは、政治家自身より、支持者だったりするんじゃないかと。
なんか、そんな気がしたんだけど・・・。
 
 
posted by さらら at 22:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 平和と友愛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月08日

ケガレ

ずっと前に、ブログで、「ケガレ」について、何か書いたような記憶があるんだけど、何を書いたのかは、全く覚えてない。
なので、改めて、「ケガレ」について語ってみようかと。

「ケガレ」の意味を知らない人はいないと思うけど、超簡単に言うと、目に見えない“汚れ”のことね。
一応、Yahoo!辞書で調べてみたら。

けがれ【汚れ/×穢れ】
1 けがれること。清潔さ、純粋さなどを失うこと。また、失われていること。「―を知らない子供たち」
2 不名誉であること。名折れ。「家名の―」
3 死・出産・月経などの際に生じるとされる不浄。この間は、神前に出たり人に会ったりするのをつつしむ習慣もあった。


けが・れる【汚れる/×穢れる】
1 清らかさ、純粋さ、神聖さなどが損なわれて、よごれた状態になる。よごれる。「耳が―・れる」「神殿が―・れる」
2 名誉や誇りに傷がつく。「履歴が―・れる」
3 女性が貞操を失う。
4 死・出産・月経などにかかわって忌むべき状態になる。


ってなってる。
Yahoo!辞書の説明だと、よく分からないかもしれないけど。

3 死・出産・月経などの際に生じるとされる不浄。この間は、神前に出たり人に会ったりするのをつつしむ習慣もあった。


この部分の、なぜ、『この間は、神前に出たり人に会ったりするのをつつし』まないといけないのか、というと。
目に見えない“汚れ”である「ケガレ」は、伝染するから。

まぁ、ある意味、「ケガレ」ってのは、風邪のウィルス、とか、そんな感じだと想像すればいいと思うんだけど、問題は、風邪のウィルスは、病院で検査をすれば、本当に、風邪のウィルスに感染してるかどうか確認できる。
だけど、「ケガレ」ってのは、感染してるかどうかは、個々人の“感性”に委ねられてるんだよね。
日本人の「差別」の根本は、実はこの「ケガレ」にあったりするんじゃないかと・・・。

で、「○○人を日本から叩き出せー!」って喚き散らしてる集団がいるんだけど。
その人たちの、根本的思想は、この伝染する「ケガレ」にあるんじゃないかと、ちょっと思った。
例えば、拉致事件、なんていう「ケガレ」たことをした集団に属している、ってだけで、その「ケガレ」が伝染してるはず。
だから、八百万の神々が存在する“日本”では、『神前に出たり人に会ったりするのをつつし』め。って感じなんじゃないかと。

もちろん、本人たちに、そんな自覚はないんだろうけど。
でも、本人たちは、「人種差別」をしている自覚もなさそうで、そういう言動を信じるなら。
「人種」が問題なのではなく、「ケガレ」が感染するような立ち位置にいるかどうか、を問題にしてるんだ。
って考えた方が、シックリくるような気がする。

前に、日本ってのは、「連帯責任」の国なんだよなぁ〜。良かれ悪しかれ。
って思ったことがあったんだけど、それも、この、伝染する「ケガレ」思想があるからなのかも。なんてことも思ったりした。
あと、「謹慎」ってのも、「ケガレ」たので、『神前に出たり人に会ったりするのをつつしむ習慣』の名残りだろうし。
日本ってのは、無意識の「ケガレ」思想の蔓延する国、なんじゃないかと思う。

一部地域で、「○○人を日本から叩き出せー!」って喚き散らしてる人々が、民事と刑事の裁判で、どれくらいの罪になるのか、話題になってたりするんだけど。
私は、罪の重さにはあんまり興味はない。
で、以前の私なら、何事も話し合いで!って言ってる気がするけど、最近は少し大人になって、「話し合い」をする気のない人々を相手に、「話し合い」をしてもしょーがないんじゃないかと思い始めてる。

それと。
相手の話の間違いとか、矛盾点とか、そういうのを指摘するだけってのは、最後に、どこに行き着きたいのか分からなくなってきた。
こういうことをすると、法的に処罰されるんだぞ。ってのも同じで、そういうことしても、根本的な問題は、何一つ解決しないんじゃないかと、そんな気がする・・・。

あ。。。
「ケガレ」について書き始めたときは、「ケガレ」=「放射線」って話にしようと思ったのに、思いっきり、違う話になってるし(笑)。

福島から非難してきた人が、「福島から来た」ってことで、「差別」されるんじゃないか、とか、「差別」されてる、とかって話があるけど。
「福島から来た」ってことで、「差別」される、なんてのは、典型的な、「ケガレ」思想なんじゃないかと思ってね。

まぁこれは、私が思いついたんじゃなくて、ツイッターで誰かがつぶやいてたことの受け売りだから、まぁ、そういう話もあるって程度でいいかな。ってことにしとくね(笑)。
 
 
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2011年08月04日

人のふり見て

今日、ツイッターを眺めてたら、「トリウム溶融塩炉も、問題がないわけじゃないんだ」みたいなことをつぶやいてる人がいて、とっさに、「問題のない発電方法なんて、ある訳ないじゃん」と思ったんだけど。
そうなのよ。
発電に限らず、事故を起こせば、何らかの被害がでるのは当たり前で。
どんなことでも、事故を起こさない、なんてことは、ありえない。でしょ?

その中で、軽水炉による発電は、事故を起こした場合、それこそ、想定できなほど、被害が莫大になるから、みんな、「脱原発!」って言ってるんだよね。

で、「脱原発!」の代案が、どれも、多かれ少なかれ、問題があるから、なかなかすんなりと、「脱原発!」にはならない。
私も、いろいろ、問題をあげつらっちゃうタイプだから、ここで、ちょっと反省した。

「問題点」を指摘するのは大切だけど、その「問題点」は、反対するためじゃなくて、乗り越えるために、指摘する、って考え方にならないといけないんじゃないかと。
そんなことをツラツラ考えてて、ふと思いついた。

放射線を撃退できる薬か何かを発見できれば、それが1番、いいんじゃないかと。
人体だけじゃなく、混ぜると土とかからも消えるとか。なんかそういうの。
とりあえず、すでに、放射線はバラ撒かれてるんだから、事故を起こしていない電力会社までもを悪魔化して叩いたりする前に、そういう方面の研究に尽力するとか、寄付するとか・・・。

なんとなく、お花畑脳が電波飛ばしてる、みたいなこと言ってるような気がしないでもないけど(笑)。
でも、そうやって、人類って進歩してきたんだよね・・・。
 
 
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2011年04月28日

単なるイチャモン

なんだか、楽しいはずのゴールデンウィークに、「原発いらない」とかいうデモを、また、やるらしい。
もう、いい加減にしてくれっ!って感じだ。

1番のターゲットは「浜岡原発」らしい。
で、今日の中日新聞の1面は、「浜岡原発」と夏の電力についての記事だった。

「浜岡原発」には1〜5号機まであって、1号機と2号機は廃炉で、3号機は定期点検中。動いてるのは4号機と5号機だけ。
なので、7月には、3号機を動かして、安定供給をしたいらしい。

これだけの騒ぎの中、動かしてないものを動かすのは得策じゃないから、止めとけばいいと思う。
動かさなくても、まだ、10%程度の余裕はあるらしいから、いざ、となったら、東京電力への送電を止めればいい。
それだけの話。

ついでに、西日本の全ての電力会社も、東京電力への送電をやめればいい。

計画停電のときに、「停電してるので、日が暮れたら、暗くなるから、気をつけてお帰りください」とか言ってる人たちと、停電なんかしなくても、日が暮れたら、懐中電灯なしでは、どこへも行けない人が、同じように節電を要求されたり、同じように、もっと電力に頼らない生活を。って言われたり。
そんなバカな話、頷いて聞いてられるわけないじゃん。

原子力発電を全部、今すぐ止めても、他の発電所をフル稼働させれば、原子力発電分を賄える、とか言ってる人もいるけど。
発電所をフル稼働なんかさせてどーするのよ?
そんなことしたら、普通に危険でしょ?

それだけじゃなく、どこかに不具合が見つかったとき、「フル稼働」できないと、電力が足りなくなるってなったら、止め難いでしょ?
止めたら、電力は足りなくなるんだから。

なぜ、全ての発電所をフル稼働させてないのかぐらい、ちょっと考えれば分かりそうなものだし。
それに思い至れば、「フル稼働」させれば・・・。なんて例え話、バカバカしくて、聞いてられないと思うんだけどね。

あと、選挙のときに、ネットで選挙の投票をできるようにして欲しい。とか言ってる人が何人かいた。
電力についてのこの騒ぎの中、よく、そういう発想ができるよね。
これだけ便利な世の中なのに、まだまだ、些細な不便を見つけ出しては、不平不満を並べて、便利にしろ、と言う。
そういう人がいる限りは、エネルギーを「原子力」に頼らざるを得ない、でしょ?

で、原子力発電を止めて、「自然エネルギー」に変えるために、財団を作った人がいるらしい。
そもそも「自然エネルギー」って何なんだ?
どれぐらいの「自然」を破壊すると、原子力発電分の「自然エネルギー」とやらが生み出せる計算なのか、聞いてみたいんだけどね。
それとも、「自然」を壊さなくてもできるから、「自然エネルギー」な訳?

洋上風力発電がいいとか言ってる人がいたけど。
それって、海を埋め立てるんだよね?
上原原発とか、へのことかに反対してた人は、さすがにそれは賛成しないよね?
それにさ。津波で何もかもが倒されてる映像や画像を見たばっかりなのに、海の上に何かを造ろうなんて発想に、どれだけの人がついていけるのか謎。

って言うか。まじで。
西日本の全ての電力会社は、東京電力への送電をやめたらどうかと思う。
それで人が死んでも、「放射能の影響でガンになるよりマシな死に方だ」って、「反原発」の人が言ってくれるだろうから、何の心配もいらないよ。

まぁ、単なるイチャモンの類いだけど。
なんか、ホントに、いろいろとムカつく・・・。
 
 
posted by さらら at 21:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 平和と友愛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月20日

時にはまじめに

数年前に、韓流ブームというのがあって、その反動的な嫌韓流ブームというのがあったよね。
その両方のブームが薄れた後、韓国及び、韓国人を、ごくごく普通の隣人として、みんな見るようになった気がする。
国全体とか、国民全体が、特別良かったり、悪かったりするんじゃなくて、日本と同じで、良いところもあれば、悪いところもあって、いい人もいれば、悪い人もいて・・・。
良くも悪くも、日本人は、韓国に対しては、60〜70年前の認識を引きずってはいない、と思うんだよね。

とある文書に、

『日本国民の差別意識もいまだに存在する』
『差別が厳然と残る日本社会』

という文言があった。

言い難いけど、確かに、北朝鮮に対しては、そういうとこ、あるかもしれない。
でも、少なくとも、韓国と韓国人に対しては、否定できると思うんだよね。
この一連の文書では、『差別意識』の根本原因は、過去の日本の“植民地支配”であって、それを未だに、日本人及び、日本社会は引きずってる、みたいなことが書いてあるんだけど。
それは、絶対に違うと思う。
韓国と北朝鮮は、かつては同じ国で、同じ人種で、同じ民族で、日本人や日本社会からも、「同じ」と見られてたはずなんだけど。今、韓国と北朝鮮を「同じ」と思って見てる日本人はいないんじゃない?

で、去年。北朝鮮はいきなり、韓国を砲撃して、その映像がテレビで放映された。
それを見て、多くの人々が、北朝鮮に対して、不信感を抱いたと思うんだよね。
「国」がそういうことをやったからと言って、その国に属する「人」に対してまで、不信感を抱いてはいけない。ってのは、頭の中で理解はできても、感情として、ついて行けなかったりしない?

だからと言って、その「感情」を、「人」にぶつけても意味ないだけじゃなく、それが「差別」だってことは理解できるから、その「感情」は、折りたたんで、心の中にしまっておかないといけない。
だけど、何かの拍子に、その「感情」を表に出しちゃった上に、「感情」がエスカレートしちゃうことは、人間なんだもん。なきにしもあらず、だよね。
で、そこで、失敗したな。と反省できればいいんだけど。その「感情」の原点は、あなたたちの祖国のしでかしたことなんだから、ウンヌン・・・。と。
この場合、そういう逃げ道があるから、いろいろと問題がこじれるんだよね。

で、問題がこじれたときに、いきなり、「日本社会」は、差別に対して、無関心で、見て見ぬふりをして、差別に対する認識の薄い社会だ。とか何とか言われたら・・・。
確かに、日本人の心の中には、拉致、核、砲撃などなどを見てきたがゆえに、北朝鮮という国に対して、拭いがたい不信感が存在することは否定できない・・・。

で、日本ってのは、ある意味「連帯責任」の国だよね。
ごく最近だと、別に横綱が何か悪いことをやったわけじゃなくても、横綱が謝ってたり。場所が休場になっちゃったり。と。
そういう国だから、なんとなく、「国」のしでかしたことに対しては、「人」にも「連帯責任」があると感じてしまって、それが、「差別」に繋がってるのかもしれない。とは思う。

だけどね。
一部の人たちが、暴走しちゃったことの責任を、「日本社会」にまで広げちゃうのだって、立派に、「連帯責任」であり、「差別」の温床、なんじゃないのかな?
一部の人たちが行った「人種差別」的言動を糾弾するのに、なぜ、「日本社会」という、無関係な多くの人々を加害者の一味、みたいにしないといけないのか。
そこのところが、どうも、納得できないんだよね・・・。

で、日本の裁判は、「人種差別」を特別扱いしてないんだよね。
だからもっと、「人種差別」を重く扱わないといけない、とか・・・。
日本社会を差別のない社会にするには、その手は有効なのかもしれないけど・・・。

でもそれって。私が日本人に囲まれて、「犬の方が賢い」「ゴキブリ」とかって、大声で罵倒された場合、それは多分、「人種差別」的言動にはならないから。「人種差別」だと主張できる人たちより、被害が少ない。って言ってるようなものでしょ?
相手が「子ども」で、子どもの方が被害が大きい、って話なら理解できるんだけど。
同じ大人なのに、「人種差別だ」と主張できるか否かで、「差」を設ける必要なんてあるのか。
そこのところが、全く、理解できないんだよね・・・。

現実に、似たような団体が、某宗教団体に対して、なんか酷いことを言ってて、それを日々、追いかけてる人々がいるんだけど。
その人たちが、「信教の自由に対する妨害」だとか、「差別」だとか、「ヘイトスピーチ」だとか、そういうことを言ったことはないと思うんだけど、今回はなぜか、「差別」だということに同意している風に見える。
どこがどう違うのか、違いが私には分からない。

で、ふと気づいた・・・。
そもそもこの話って、こういう、私みたいなことを思いつく人々が、「差」を設けることに対して、「優遇」とか、「特権」とかって言い出して、大暴れした。って事件だったってことに・・・。
うーーーん。私の考え方は、どこかで間違ってるんだろうなぁ・・・・・・。
などと、考えれば考えるほど、心身共にきつくなってくる今日この頃。なのであった。。。
 
 
posted by さらら at 21:56| Comment(4) | TrackBack(0) | 平和と友愛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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